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京焼の絵付け
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京都の焼き物に先立ち、瀬戸、美濃、九州の唐津などでは、桃山時代にすでに酸化鉄で下絵された「銹絵」が使われていました。またこれより少し遅れて、有田では主成分が酸化コバルトである呉須が使用され、いわゆる染付の技術が開発されました。それらの銹絵や呉須の技術が、陶法ととともに京都に伝わり、下絵付けが古清水に使われ始めました。下絵付けとは、いったん700度程度で素焼きされた素地に直接、酸化鉄や呉須で絵付けすることです。その上に釉薬を施し、1200~1250度の高火度で焼き上げると、釉薬は溶けて透明なガラス状となり、下絵付けされたものが、茶褐色や藍色になります。
この手法が生まれたのは中国の宋の時代で、鉄絵を用いた焼き物があります。本格的な染付の手法が盛んに作られ、優れた作品を数多く残しています。この技術が中国から瀬戸に伝わったと考えられています。やがて、その技術は京都にも伝えられ、京焼に影響を与えました。上絵付けに用いられる顔料は、酸化鉄、酸化銅、マンガンなど多数あり、それに鉛分や硅石などを調合し、焼成する温度に合わせて用いられます。上絵付けは絵具の調合を誤ったり、焼き方が悪いと、素地と絵具が未着せず、剥落したり、発色が悪くなったりします。微妙な加減で出来上がりが変わってきます。
京焼に使われる上絵具は、いつ頃から使われ始め、どのように入手されていたか、というのははっきりとはしていません。桃山時代に先立ち、織田信長が権力を握っていたころ、そのハイカラ趣味により、堺には南蛮船が多く入港しました。これらの南蛮船は、スペインやポルトガルでしたが、彼がもたらした舶来品の中に、中国で焼かれた焼き物が混じっていました。この焼き物の上絵具は七宝焼きに似た性質を持ち、手法も有線七宝のようなものでした。これらの絵具を注文して、それを元に作られたのではないかと推測されます。
古清水に使われている上絵具は、原料の精製がよくなったのでしょう。よく見ると、やや不透明であったり、斑点状になっていたりします。しかし、それがかえって作品に重みを与え、優雅な中に重厚な感じがあります。初期の古清水には下絵付けだけという作品があり、しかも数多く見られます。技術や焼き物に関する人の感覚が時代とともに進むにつれ、下絵付けと上絵付けを組み合わせて、変化に飛んだ効果を狙うようになります。また後期になると金彩の手法が始まり、さらに作品に優雅さが出てきて、そのデザインの洗練さと合わせて、京都の焼き物は都会の焼き物として、いちだんと光彩を放つようになります。
京都の焼き物に関する質問
- 京都のお土産について
- 2007-05-08 14:26:00
- 京都のお土産について 京都のおみやげについてアンケートしてます* 大学の課題で京都のお土産についてしらべてます。 できるだけたくさんの意見がほしいので協力おねがい...
- オーストラリアへの持ち込みについて
- 2006-09-25 12:42:53
- オーストラリアへホームスティしに行くのですが、先日スティ先へのお土産にと、京都で焼き物のマグカップを購入しました。でも後から調べてみると土製品の持込は禁止されて...
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- 2008-11-27 10:53:42
- 京都の窯元とお土産 茶道を初めて数年。なんとなく焼き物に興味がわいてきました。近々京都へ行くので、おすすめの窯元を教えていただけたら嬉しいです。また、京都...