• 茶道とともに

  • 京都の焼き物の発展は茶道と離すことができません。もし茶道が京都で流行しなかったら、このような短期間に、京都の焼き物が発展しなかったでしょう。茶道は、鎌倉時代に、栄西法師が中国の宋から持ち帰った抹茶の作法から、始まります。その抹茶が喫茶の流行を呼び、僧侶だけではなく、武将にまで及びました。それと同時に、宋から優れた美術工芸品が途切れることなくもたらされました。当時、茶の湯に使われていた道具は、唐ものの陶器、漆器、金工、染織などがありました。陶器は青磁や天目が尊重されました。

    足利義光による室町幕府の頃も、茶碗はあいかわらず唐ものが使われていました。しかし、茶の湯がますます和様化し、格式のある豪華な唐様の書院に対して、簡素を旨とした小庵の茶風が新しく興ってきます。それにつれて、使われる道具も、唐ものから和ものに変わりつつ、さらに侘びもの、寂びものへと趣が変わってきます。焼き物では瀬戸や信楽、備前のものが使われ始めます。またこの頃は、侘びものとして朝鮮の高麗ものも渡来するようになりました。そのうち、堺、奈良、京都の富裕な町人が茶の湯を大いに嗜むようになると、茶道具の需要は増大します。

    侘茶といえば千利休ですが、彼の時代になると、瀬戸や楽焼がもてはやされました。楽焼とは、京都で作られた焼き物ですが、京都の焼き物には入れません。京焼よりもやや古い歴史を持ち、渡来してきた朝鮮の人によって桃山時代に起きた、と言われています。楽焼は最初、瓦を焼いていましたが、やがて利休好みの茶碗を焼くようになり、利休自らが直接指導したと言われています。また豊臣秀吉の時代には、京都の聚楽第の瓦を焼き、その出来栄えに秀吉が感激し、聚楽第の一文字「楽」の金印を賜りました。これが楽焼といわれる由縁です。

    一方、侘び寂びを追求した千利休によって茶の湯はさらに発展し、普及していきました。京都だけではなく、各地の大名、貴族、町の庶民にいたるまで茶の湯を好み、茶道は隆盛を誇ります。これによって、さらに京都に瀬戸、信楽、備前、丹波の焼き物が運び込まれるようになりましたが、やはり遠くの窯情に注文するよりも、近くで作った方が経済的です。また京焼の技術も年々上がり、人々を満足させる出来栄えになってきました。それにより、多くの陶工を茶の湯を好む人々が京都に招き、京焼が盛んになりました。これを境に、京焼はそれまで日用品の食器類を焼いていましたが、茶道具を焼き始めるようになります。

京都の焼き物に関する質問

京都のお土産について
2007-05-08 14:26:00
京都のおみやげについてアンケートしてます*大学の課題で京都のお土産についてしらべてます。できるだけたくさんの意見がほしいので協力おねがいします!!1:お歳は何十代ですか?2:京都のお土産に焼き物を買ってかえったことはあり
京都の窯元とお土産
2008-11-27 10:53:00
茶道を初めて数年。なんとなく焼き物に興味がわいてきました。近々京都へ行くので、おすすめの窯元を教えていただけたら嬉しいです。また、京都ならでは、京都しか買えないお土産がありましたら、そちらもお願いいたします。
オーストラリアへの持ち込みについて
2006-09-25 12:42:00
にオーストラリアへホームスティしに行くのですが、先日スティ先へのお土産にと、京都で焼き物のマグカップを購入しました。でも後から調べてみると土製品の持込は禁止されているとか…ということは焼き物は持って行っても捨てさせ